物事の本質を理解するのって、難しい

 

Webディレクターの若様と申します。偉そうな名前でお世話になっております。

日頃Webサイトの制作を進行していく中で、「このWebサイトを構築・リニューアルして本当に成し遂げたいことは何か」という目的意識を、お客様と共通して持つことはとても大切です。

具体的には、現段階で持ちうる情報から適切な助言・提案を検討し、推測となってしまう様な部分はクライアントとすり合わせを行い、言語化した内容にはブレが生じない様に方向性を合わせた上でWebサイトの構築を進めていく…
と、書いているだけでもとても難しい事だと痛感しています。

上記をよりスムーズに進行していくためには、課題の本質を理解してプロジェクトに臨むことが肝要なのですが、"本質"というものはただ言葉として用いていただけでは曖昧な輪郭がシャープにならず、
本当の意味では理解できていないまま、ふわっとしてしまう事もしばしば。

日々、プライベートでは耳触りの良い上辺の言葉に踊らされている愚かな私ですが、
ビジネスにおいて、まだまだ経験の浅い自分が"本質を理解する"ためには何を努力していけば良いのだろう?と改めて考えてみました。

以下、ニュアンス目次失礼します。

目次



※本記事は文字ばっかりで日記みたいになってしまったので、サムネイル・挿絵は画像生成AI「DALL-E3」により賑やかしの画像を生成しています。

まず理解できていない自分を理解してみる

とりあえず、理解できていない自分を自覚しなければなりません。無知の知だ。

シュールだな

例えば、数学が苦手な人ならわかってくれると嬉しいのですが…。
私の感覚では、表面上の言葉だけを受け取って本質を理解できていない時の頭の中は、
「数学の公式を覚えただけ」の状態に似ています。似ているというか同質のものなんでしょうけどね。

記憶力だけは良かったので、数学の公式を教わった後「この公式を覚えて使えばいいだけか!」と思っていたら、基礎問題しか解けないまま応用問題では点が取れず…野球部の声をBGMにして補習を受けていた事が何回もあります。
逆に「公式を覚えられない」と口では言っているけれど、多少遠回りをしてでも問題が解けていて点数が良かった人は、颯爽と校門をくぐり抜け帰路についていました。

数学の公式というものは、数学者などの先人が何百年も様々な命題に悩みそれを紐解いていく中で、
今現状のベストで最適化された結果だけ渡されている状態だと思っています。
なので、「公式を使って解けばいい」とだけ思っていると、公式がバッチリハマる基礎問題しか解けません。
応用問題を解きたければ、公式が何故その公式足り得るのかを自ら理解していかなければならないのです。

それは、本質を理解する時にも同じことだと思いました。

理解が上手くいった時を考えよう

成功ケースを分析したら良いんじゃないだろうかという発想に基づき、私が物事の本質を理解しようとする時の過程を思い返し、どうやったら理解できていたのかを考えてみます。

正直、自分だけで考えている時に理解しきれた経験はパッと思いつきませんでした。
となると、人に相談をして理解できた経験を思い返す必要があると思ったのですが、理解する行為自体は仕事の話に限定されるものではないので、気軽に対話を重ねやすい環境にある業務外の事をとりあえず思い返してみます。

私は人と話すことが狂った様に好きな上に、自分の情報を明け透けに開示してしまいがちなタイプなので、すぐ人と取り留めもない会話をし始めます。
(そんな与太話を聞いてくれる人がいる環境、めちゃくちゃありがたいですね。)
会話を思い返してみると、元々思慮深い人、自分とは違う考えを持った人…。様々な人との会話の中でなんとなく生まれた疑問などを赤裸々に語った結果、自分が答えを出せなかった物事の本質に初めて気づく事は良くあるな、と気が付きました。
更に、その会話の中ではただ物事の本質を得るだけでなく、思考のフレームワークがフレームワークとして世間に周知されていくのはこの考えを最適化しているからなんだ、とか、
社会の仕組みって当然の様に受け入れているけれど、こんな理由で最適化されているのが今の形なんだ、と気付き、なおさら「は~~なるほどな~~」となる事もあります。

私が持っている武器の中に、対話があるのならばその武器を活用して理解していければ良いのか、と思いました。

せっかく数学を教えてくれているソクラテスと論争する意味はありません。

私は本質を理解するうえで、自分で理解しきることはできなかったとしても、人と対話を繰り返すことで理解していくのが良さそうです。

人を頼っていいんだろうか

自分の力では限界があるが、本質に気付く必要がある場合には、対話を重ねるために人のリソースを割いてもらう必要があります。
とはいえ、独力で叶えるか、先述の様に人に頼るかという二軸で考えた場合にも、独力で叶える為には思考のフレームワークを習慣化するために訓練をしなくてはなりません。
思考法の訓練自体、表面的に学習しただけでは自らの血肉になっていく事は叶わないと思うので、結局は人に頼る必要があるだろうな、と思いました。

そう考えた時、せっかく会社という組織に所属している人間なのであれば、社内のナレッジ・ノウハウ・人材は積極的に活用していくべきだと考え直し、
先輩や上司など、自分よりも経験や知識を獲得している人に対して、案件上で質問をできるタイミングなどをうまく活用するのが良いのではないか!と自分を納得させました。

ただし、対話を重ねてくれる人が自分で本質にたどり着ける(≒ロジカルに考える癖がついている)人だった場合、本質そのものや本質一歩手前のものを提示していただく事もあります。その人にとってはそこまでの到達が前提で考えられてしまうからです。
その助言だけ聞いていると、「頭のいい人のありがたいお言葉」以上のものにならず、教えを乞うている側は次回に活かすことができません。

質問をしている時、どちらにせよ先輩・上司は時間を使って私たちに学びを与えようとしてくれているのですから、ここで逃がしてはいけません。
自分が分かっていないことを対話を通して、真に理解する必要がある事は肝に銘じるべきだと思いました。

分かっていないことが分からない

自分が分かっていないことをぶつけるにあたって、「分からないことが分からない」ということも往々にしてあると思いました。
ただ、私はここについては持論があり、分からないことを自分で分かるようになるためには興味と吸収がめちゃくちゃ大切だと考えています。

気になった展示を美術館へ見に行って、何故こんな表現にしたんだろう、色にしたんだろうと考えるとき、
めちゃくちゃ美味しい料理を食べて、何がこんなにこの素材を美味しくしているんだろう、と考えるとき。
人は無意識に興味のあるものに対して疑問を持ち、それらを深く知ろうとしているはずです。

本質の話をしているのに、挿絵で関係のないソクラテスと遊ぶな

そしてある程度、対面する課題に関する知識を持っていないと、疑問を自分の中で具体化することができません。
案件の中には、携わって初めてその業界や、その商材の存在や内情を知る事も多いと思います。

その時に如何に自分事としてそれらを知るか。
知る中で枝分かれして出現する初見の情報を自ら調べ、自分の知識として吸収していけるか。

これらの興味と吸収があって初めて、自分事として疑問を持ち、思考法を知る先人との対話の中で本質を知ることができると考えます。

こういう分析手法、そういえば既にあった

今までの過程を考えている時は全く意識していなかったのですが、
こうした疑問を繰り返すことで本質にたどり着く分析手法は、既にTOYOTAの生産方式の手法として「5why分析」が有名であることを思い出しました。もうそういうのあった。大分遠回りしました。

小手先のなぜを5回ただ繰り返しても、本当の根本的原因にはたどり着けません。
自分の目の前に立ちふさがる課題に対して、本当に心の底から、「なぜ?」という疑問を持つことが大切です。

この分析を自分一人でやるか、人とやるか。

私は人と「なぜ?」を繰り返す過程を経る事で、本質に近づくための思考を行っているんだろうという事を自分の中で腹落ちさせました。

挿絵の方向性が分からなくなった俺とソクラテス

どう頑張ったらというか、意識付けが大事

こうして考えてみると、本質を理解する行為は、もちろん一人の力で叶える様にもなっていくべきですが、初めの内は必ずしも一人の力で叶えるべきものでもないのだな、と思いました。

また、どう頑張るというよりかは物事に立ち向かう際の意識付けを行っていく事が大切な様に思いました。

どんな人であっても、個々が物事を理解をするにあたっての限界は必ず存在します。
まずは立ち向かうべき物事へ興味を持ち、自ら調べる習慣を付ける。
そして自分の限界を知る事で、他者との対話の間口を広げていく。

当たり前の様で言語化できていなかった上記の事を、日々の業務の中でより意識していくことで
今後もプロジェクトに臨んでいければと思いました。

と言いつつ挿絵が既に本質を見失ってしまっていたので、今後とも精進してまいります。それでは。

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